#1 現在地がおぼつかなくなったら立ち返る、『体は全部知っている』吉本ばなな

こんにちは。GOKOTI YUIGAHAMAディレクターの佐藤久美子です。本サイト内・読みもの『KAMAKURA GOKOTI』の編集長も兼務しております。

この連載では、休日のおうち時間やひとりカフェのお供にしたい本をご案内します。


週に一度は、書店で絶望したい。

私自身は読書家と名乗るには恐れ多いのですが、仕事柄、小説家の先生や実用書の著者さんにインタビューをしたり、雑誌の企画にあわせて本を紹介したり、ときには単行本をつくるお手伝いなどをしています。ありがたいことに、趣味と実益をかねて資料となる本に埋もれつつ暮らしています。

Netflixの名作ドキュメンタリー「KonMari〜人生がときめく片づけの魔法~」で好きなエピソードは、作家カップルの「社会人らしい暮らし」回。
2020年の自粛期間中に400冊ほどの本や雑誌に別れを告げた際は、「本が手放せない」となげくマットに激しく同意しながら泣く泣く仕分けに取りかかったものです。

「観てる時間があるならサッサと片づけたらえぇがな」という、オットのつっこみは全力でスルーしました。

さて、いち本好きである私。Amazonを毎日のぞきつつ、週に一度は本屋さんへ足を運びます。仕事の資料を探しに行く大型書店であったり、鎌倉駅前の島森書店さんだったり。お店はときによってさまざまですが、毎回等しく味わう絶望があります。

それは、
「嗚呼、この空間にあるすべての本を、私は一生かかっても読めないのだ」
という、叶わぬ夢の痛み。

そして同時にわきあがる、
「まだ知らないことがこんなにもあるのだ」
という無知の知。
ソクラテス先生、ご降臨です。

先生ご本人は著作を残していないことで有名ですが、弟子がその存在や教えを本に記したように、1冊の本の先には、少なくともひとりの人生、あるいは何十冊もの参考文献やとほうもない年月をかけた研究、そして何より古今東西の想像と思考の海が広がっているわけで。

その叡智の海で出会うはずのなかった点と点が、座標のようにつながっていく書店という空間は、私にとってはなんというか、破壊と創造をいちどきに経験できる聖域なのです(遠い目)。


▲いざ、叡智の海へ。そろそろ図書館と古書店にも漕ぎ出したい

 

本は、内なるセラピスト

若干の変態感は否めませんが、このコーナーでは、我が聖域でスカウトしてきた〝ご自愛本〟を紹介していきたいと思っています。

おとなのみなさんなら、「どうぞご自愛ください」と労わりの言葉をかける場面が少なくないのではないでしょうか? でも、他のだれかを気づかっているうちに、自分自身を大切にすることはつい後まわし。気づいたら身も心もクタクタ……という日もあると思います。

そんなときは、ふとんをかぶって、あるいはお気にいりのカフェに退避して、本という内なるセラピストに身をゆだね、心までほぐされてしまいましょう。

読んでいる間だけは、どんな名高いセラピストも自分だけの専属です。

ホットストーンを置かれてただただじんわりするもよし、鍼のように芯からズーンとコリを解放するもよし。時には、力強いストロークで痛きもちよさに悶えるのも、また一興。

今宵はどのセラピストを召喚しようかと、本棚をあさります。



▲ジャンルを問わず、さまざまなタッチの癒やしを探り中

20年本棚に鎮座する、レジェンド文庫。

前おきが長くなりました。
本日のご自愛本に選んだ一冊は、こちらです。

吉本ばななさんの『体は全部知っている』(文藝春秋)。
13篇からなる短編集です。



▲20年たっても色あせない魅力。1篇ずつ気軽に読めるので、小説が久々というときの「リハビリ本」にも良き一冊

長年、体の不調を気力で補ってきたという著者。いよいよどうにもならなくなって体の大改造に着手したところ、30代半ばで大学生のころよりもずっと快調になったとのこと。無視してきた体と向き合ってみた、そんな転換期を越えて書かれたのが本作です。

私がこの本と初めて出会ったのは、たしか22歳。

大学を卒業して就職をしたかしないかぐらいのタイミングですから、まだ社会の酸いも甘いもよくわからずに、「なんだか感性が磨かれるわ」くらいの薄口な感想しか抱けなかった気がするのですが、その後の人生で折々に手にとる作品になりました。

20代、30代で経験した二度の引越しにも、何度目かの断捨離でも別れを告げることなく、20年近く私の本棚にいます。そしてほぼまちがいなく、40代のその先も。

短編集って作品の中からひとつを選んでタイトルにされることが多いけれど、本作の中に表題作はありません。

体は全部知っている。

タイトルとなったこの言葉が、一篇ごとに染みわたっていきます。

世界の美しさを知っている人は、強い。

主人公は、13人の女性たち。

命消えゆく祖母の部屋、母との思い出、友達とのドライブ、衝動、初恋、不倫、失恋、職場の風景、家族の秘密。そういう出来事そのものというよりも、誰の人生にもあるかもしれない、なにげない人生の1コマの記憶を、体や五感を通して切なくも鮮やかに立ち上らせてくれます。

一文も読み飛ばせないのは、カラカラに乾いた喉には一滴の水もムダにできないように、心がごくごく飲みこんでうるおいに満ちていく感覚とでもいいましょうか。読後感はしっとり。



▲パサパサなときほど、沁み入ります

 

日頃からこれほど感受性をはたらかせられたら、世界はもっと美しいだろうなと思います。というか、美しいという感情そのものにフタをしているんだな。そうしなければ、きっと同じだけ醜さも受け止めなければいけないから。

美しさを知っている人は強い。

作中の主人公たちは、世の中や人間のきれいではない部分に傷つきながらも飄々と対峙していきます。


頭だけの宇宙人になってしまう前に、体を取り戻す。

作品から感じとるものはそのときどきで変わるのですが、何度も読み返してしまう『おやじの味』から一節を。

「頭だけが浮かんでる宇宙人」、身におぼえがありすぎました。
頭というやつはしっかり者で、一生懸命リスクとリターンをはじきだしてくれます。もちろんそれで担保される安定もあって。でも損得勘定や不安を投影して選んだことは、立派に見えてもどうやら幸せを感じづらい。

ばななさんは文庫版のあとがきの中で
「体と本能にまかせておけば、さほど間違えることはないと気づいた」
との思いに触れています。

そういえば以前、精神科医の先生に取材した際、「『良薬は口に苦し』と言うけれど、漢方の世界では『良薬は口に甘し』と言われる」、と聞いたことがありました。一般的に苦いとされている漢方薬であっても、その人の体質に合っていて、そのとき体が必要としているものは、「おいしい」とか「飲みやすい」と感じることが多々あるのだとか。だから薬効だけではなく、味や匂いの体感を確かめながら処方する漢方を絞っていくのだそう。体はちゃんとシグナルを出しているんですね。

生きていると、社会の常識とか条件を考えればこっちの道がよさげだけれど、進もうとするとなんだか胸がつっかえるな、胃のあたりが重いな、身の毛がざわざわするな、…という瞬間があります。

つっかえ、重い、ざわざわ…。

己の中年のほころびを含みおきながらも
それはきっと体の思し召し。
気持ちいいほうへ進め、と伝えたいのかもしれません。

限界をとうに越えた頭と体を引きずって気合いだけで仕事を乗り切ろうとしていた時期や、だれかが放ったざんねんなひと言を愛想笑いでやり過ごしたとき、何を食べたいかさえわからない日も。

自分がどこに立っているか、
何に向かっているのか、
おぼつかなくなったら、
つぶやくように言い聞かせてきました。

「体は全部知っている」

これからの人生にもこの本をおまもりのように、
しのばせておこうと思います。


▲ゆるキャラのような窓際族のおじさんに癒やされる、『田所さん』も年々好きになります
本日はGOKOTIを訪れていただき、ありがとうございます。
GOKOTIでは本のお取り扱いはないので、全力で愛を語るのみです。

著作権の事情で、素敵な装丁もAmazonリンクにて。
Kindleなどの電子書籍でも読めます↓

 

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佐藤久美子|editor|GOKOTI

佐藤久美子 Kumiko Sato
兵庫県神戸市出身。リクルートコミュニケーションズで制作ディレクションに従事した後、フリーランス編集、ライターとして活動。インタビューを中心に、ライフスタイル、働き方、結婚、本、映画、旅、食など幅広いテーマを担当。2008年より東京から鎌倉へ移り住む。柴犬とビールをこよなく愛する。Works

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